わがTeen age・3
遣英救護班
近藤 トキ
1
1慶應病院
pp.45-47
発行日 1951年2月15日
Published Date 1951/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906809
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私が看護婦になつた動機といえば,日露戰爭の日赤看護婦さんの働きに尊敬と強いあこがれを感じたことと言えましよう。お國の爲に働く……傷ついた兵隊さんを戰線に行つて看護したいと思つたのです。それには日赤に入ることだと考え,反對する兩親を説いて愛媛縣宇和島から澁谷の日赤中央病院に入學したのが明治41年でした。
3年で卒業,恰度愛媛支部で看護婦を旅順の赤十字病院には遣するというのでその年の10月に旅順に渡りましたが大正3年に婦長候補生の講習を命ぜられで歸つて來ましたその頃第一次歐州大戰が始まり病院船がたくさん出で行きました。「戰線に行つて働きたい」という希望が講習の爲に今度も駄目になつてしまつたと私はよく殘念がつたものでした。
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