關西版特集
日本最初の看護婦養成所—京都看病婦學校とベリー博士
pp.7-8
発行日 1950年11月15日
Published Date 1950/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906739
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米人ベリー博土は維新後間もない明治5年の若葉かおる6月,新婚の夢なお淺い26才の時,日本に來朝し,傳導に醫療に監獄改良につくされた。
博士は日本の看護婦の教育が一般に低いのをかなしみ(京都看病婦學校設立の時の演説は博士が數年間過したこの國での漢法と迷信と手術を脱し,理論上の基礎におかれた米國式の醫學をもつて人命を救いたいことをのべ,看護婦の重要さをとき今もつて看護婦の範となる教えである)どうかして米國風の教養ある看護婦を養成したいと考え,遂に大日本私立衞生會の會長を説き日本全國の衞生會支部に看護婦學校設立を勸告したのである。
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