特集 私の一日
看護學院から/精神病院から/私の一日/保健婦日誌
白井 怜子
1
,
津村 志げ
2
,
松川 淸子
,
石井 登志子
1岡山高等看護學院
2国立國府臺病院第一精神科
pp.37-44
発行日 1950年9月15日
Published Date 1950/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906709
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朝起きて窓をあけると塀の向う側では早や田植のすげ笠姿が忙しく動いている。6時45分朝禮のベルが鳴り渡る。右手に山を控えた廣い學院の庭に白一色の乙女達と一緒に整列して唱えるナイチンゲール誓詞—「我が手に托されたる人々の幸のために身を捧げむ」—最後の結びは毎朝新な勇氣とよろこびを與えてくれる。
朝禮後最近Bed Makingを充分習得した1年生をグループに分けて病室に連れて出る。教室と病室の教育を最初からしつかり一致させたい爲の計畫である。雰圍氣の變つた病室では實習室程ピツチはあがらないが受持つた患者のBedMakingに取組んでいる彼女達の顏には輝きがある。祈りを込めた日頃の指導が如何に大切か教師のつとめの重大さをしみじみ思う。「初めてなのに2年生の夜勤者はなかよくやりますよ」と病棟婦長がさゝやいてくれる。そう云う彼女達を我々が誇らしく思うのは人情だろう。約1時間實習を監督して1年生を連れて歸る。途中産科病棟をのぞく。「昨夜御産があつて又家族がふえました。17名なんです。」と云い乍ら定員13名の超滿員の新生兒室でマークとガウンに身を固めた3年生が自信たつぷりにベビーの世話をしている。氣付いた二,三の注意を與えて朝食に行く。歸りに婦長室によつて総婦長と仕事の打合せや色々な相談をする。學院と病院の緊密な連絡が生徒の教育に大きく影響することは云う迄もない。
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