発行日 1948年7月15日
Published Date 1948/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906347
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シュワイツァー博士竝に夫人のことに就てまだ十分に御話し盡せなかつたので,もう少し御話致しましよう。シュワイツァー博士がアフリカに行かれた時には博士はその私財と友人達の寄附金とを資金として醫療器械,醫藥品,身まはり品を持つて行かれたのです。なぜアフリカのオゴウエ河畔のランバレーネを特に擇んだかと云ふと,それはパリーの福音傳道會の宣教師達から,その他に睡眠病が非常に流行して特に醫師が必要であると聽いた爲めであつたのです。勿論フランス人ですから佛領殖民地のコンゴーを擇ぶことも無理はないでしよう。傳道會社も亦ランバレーネの傳道本部の家屋(勿論小屋の樣なもの)を提供し,その所に病院を建てゝも宣しいし又補助もすると云ふ約束であつたからであつたと,博士は云つて居られます。同博士は仕事を始めると間もなく第一次歐洲大戰でアフリカのドイツ軍に囚れて監禁されて,一時は仕事を中絶しなければならなかつたこともありました。
其他博士夫妻の生活には精神的にも肉體的にも非常な苦痛と犧牲とを拂なければなりませんでした。例へば博士が非常に好んで又得意として居つたパイプオルガンの演奏は出來ません。又種々の本を讀む圖書館も又學問上のことを話す友人もなく,周圍はジヤングルと惡氣候と毒蟲や惡疫など多くあり,現手は黒人の土人達です。然し博士夫妻は決して不平など云つて居られません,心からその使命である仕事に樂み勵むで居られたのです。
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