発行日 1947年12月15日
Published Date 1947/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906265
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明治15,6年迄は患者の世話は家族か親戚朋友の手に委せられたり若し之れ無き時は女中書生又は雇はれたる老婢寡婦等其任ほ當れり大學病院にては山中傳四郎と云ふ賄を擔當せるものありて其手により患者の附添を入れ其附添の中より稍々熟練せるものを看護婦と爲せり陸軍に於ては明治10年の西南の役に際し時の軍醫總監橋本綱常氏獨逸の「アウグスタ」病院に模して博愛社なるものを組織せり然れども完全なる創立は明治19年11月なり之れ赤十字社の前身なり而して日本赤十字社の創立は明治20年5月石黒氏のゼネープの萬國赤十字會に臨みてよりなり,海軍に於ては之に對立せしが爲に同じく軍醫總監たりし高木兼寛氏英國の「セントトーマス」病院を範とし慈惠病院を興し看護婦を養成せり。
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