連載 道拓かれて—戦後看護史に見る人・技術・制度・16
ニッパチからナースウエーブへの軌跡
川島 みどり
1
1健和会臨床看護学研究所
pp.388-391
発行日 1998年4月1日
Published Date 1998/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905575
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医療技術の高度化と歩調を合わせた看護婦不足
1963(昭和38)年5月,東京大学五月祭で看護学生が写真やイラストで訴えた内容は,いつかは病院に足をふみ入れざるを得ない観衆の足を止めさせたと言うが,学生の目を通して看護婦不足下でのきわめて貧困な看護の実態が明るみに出たと言えよう.同年の五月祭の医学部の全体テーマが「よりよい医療を阻むもの」であり,その一環としての発表であった.
また,前年11月に開催された看護学生親睦会シンポジウムのテーマが「機械化する看護を考える」1)であったから,経済の高度成長に伴ってしだいに機械化する病院看護に危惧を感じてのものと思われる.この年看護婦の充足率89.9%.
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