連載 看護を支えるもう1つの“知” 現象学と状況論的認知・4
“言葉による知識”は実践にどういう意味を持つか
行岡 哲男
1
1杏林大学救急医学
pp.958-961
発行日 1997年10月1日
Published Date 1997/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905448
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究極の選択
あなた自身が急性虫垂炎で,手術が必要な状況を想像してください.そして,今あなたがいる地域には医師1,医師2の2人しか居ません.彼らはいずれも卒業後2〜3年間の外科の研修を受けています.さて,論点を明確にするために,実際には存在し得ないような極端な条件設定をしてみます.
医師1は医師国家試験を満点で合格し,その後の研修期間中ひたすら勉強してきました.この“勉強してきた”とは,外科の教科書や文献を読みあさり,また,内外の手術書も読み,外科解剖や外科病理,さらに術式に関しても細かいことまでよく“知っています”.ただし,ほとんど手術室には現れず手洗いも数えるほどで,人の体にメスを入れたこともありません.一方,医師2は,卒業このかた,外科の教科書や文献は,自ら読んだことはまったくありません.そして,抄読会や患者との面談時間を削ってでも,可能な限り手術室にいて,手洗いも多数こなしてきました.もちろん,メスやコッヘルをよく「知っています」.
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