巻頭グラフ この時この一葉
看護のための学び舎
山根 信子
1
1看護史研究会
pp.190-191
発行日 2000年3月1日
Published Date 2000/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661903414
- 有料閲覧
- 文献概要
1949(昭和24)年5月,看護学校を国が指定する,いわゆる指定規則が制定された.
それ以前は各県知事の指定のものや,もしくは指定のない学校も多かった.教室は病院の内部に設けられており,看護学校として独立した校舎や寄宿舎を備えているところは珍しいという状況であった.その当時,厚生省看護課長であった金子光の回顧録『看護の灯高くかかげて』(医学書院刊,1994)の文中に「1950(昭和25)年といえば,まだ戦争の傷跡が大きく残っている時期だから,建物などもひどくて,馬小屋をつぶして学校にしたとか,机や椅子がそろっていないなど,どうしても指定できないところがあった」「そして同年3月30日付で第1回の指定を受けたのは甲種看護婦養成所(現看護婦養成所)が90か所,乙種看護婦養成所(現准看護婦養成所)が44か所で,ほとんどが国公立と赤十字関係だった」とある.指定の大きな基準として,校舎をはじめとする教育環境の充実があったことがうかがわれる.
Copyright © 2000, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.