グラビア この時この1葉
看護婦の国際交流ことはじめ
山根 信子
1
,
坂本 玄子
1
1看護史研究会
pp.214-215
発行日 1999年3月1日
Published Date 1999/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905785
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有資格者の外国人ナースが日本に来たのは,1884年有志共立東京病院(現・慈恵会医科大学附属病院)で,今から115年も昔であった.
その後の近代看護教育の普及によってアメリカ,イギリスから幾人かのナースが来日したが,日本から海外へ出たのは,記録によると1886年渡米,尾池ヨネの助産術研究が第1号のようである.しかし,個人の留学ではなく国際舞台で「日本人ナースここにあり」と,諸外国に知られた第1号は日本赤十字社の萩原タケであろう.萩原は1909年3月に,華族,宮家の随員として渡欧(フランス,オーストリア,イタリア,ドイツ,ロシア)した.そして同年7月に,ロンドンで開催された第2回ICN(国際看護婦協会)大会に参加して加入の礎を築いた.
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