特集 われら看護婦応援団!
3Kに甘えられなくなった時
松村 理司
1
1市立舞鶴市民病院内科
pp.322-323
発行日 1992年4月1日
Published Date 1992/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661900608
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医者になって18年が過ぎる.最近8年間は,24時間365日の救急医療が大きな柱の地方都市立の病院で働いてきた.この間,給料は高くなくても,斬新な改革はできなくても,ともかく労働にゆとりがあり,長く勤めて恩給を当てにするといったいわゆる“公務員気質”とは全く無縁に生きてきた.
35名の医師の平均年齢は30代の前半と若く,救急医療を支えるフットワークとしては申し分がなかった.しかし,看護は,準備不足で出発したことも手伝い,大いに引っ張り回されてきた.209床と規模が小さいので,ルーチンと指示受けに明け暮れる看護婦の是の呻きは,とても身近に感じられた.
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