特集 精神保健法施行2年を迎えて
障害者とともに暮らす社会をめざして—精神障害回復者の社会復帰事業を試みて
金子 鮎子
1
1株式会社ストローク
pp.678-682
発行日 1990年7月1日
Published Date 1990/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661900167
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●編集室から 筆者の金子鮎子さんは1955年にNHKに入社,日本で初めての女性カメラマンとして活躍した方である.カメラマンの一線を退いた後は,局内で社内報の制作,女性職員の教育研修などを担当,88年にNHKを定年退職された.55歳から60歳まで定年を選べる制度の中で,自ら55歳を区切りとしたのは“体がくたびれないうちに,温めていた構想を実現するため”だった,こうして,翌年の3月に設立されたのが,(株)ストロークである.社名のstrokeという言葉が,“撫でる”“さする”の原意から発展して精神療法の分野で,人とのかかわり合いを示す言葉であることは周知の通り.共同作業所などとも異なり,“病気を経験した入も健康な人も,ともに助け合いながら働くことを目的として設立”された会社というのは,日本広しといえどもここだけではないだろうか」社長自らが掃除婦を勤める(株)ストロークのユニ」クな活動を通して,障害者が社会で暮らしていくことの意味を考えてみたい.
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