- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
―患者の権利意識が高まるなか,医療情報の開示やインフォームド・コンセントへ向かう動きが医療のメインストリームとなりつつあります.内田さんはこうした動きについて,どのようにお考えでしょうか.
内田 率直な感想として,「患者」にそんなことを求めるのは酷だなと思います.
インフォームド・コンセントの根本にあるのは「治療を受けるのは患者なのだから,患者自身が主体的に治療方針の決定に関与すべきだ」という考え方ですよね.ここには「自己決定」は無条件によいことである,という前提があります.つまり,インフォームド・コンセントという考え方は,「自己決定」あるいは「主体性」ということに,相当強い価値づけがなされている社会によく「なじむ」ものだとは思うのですが,私は必ずしもすべての社会がそのような価値づけを受け容れているようには思えないのです.
たとえば,ある患者支援団体のキャッチフレーズに「賢い患者になりましょう」というものがありました.これは要するに,重病で入院してきた患者に,自分の病気とその治療法について勉強して,考えて,相談して,決断して,という一連の「主体的行動」を求めるということですよね.これって,ちょっと病人には荷が重い仕事だと思いませんか?
私自身が病気をした経験からいうと,病院に行って,医師が「あなたはこういう病気ですよ」と診断してくれた瞬間,ふと肩の荷がおりる,ということがあります.それまで,私1人で自分の病気と対面して,それにどう対処しようか,どういう治療方針で臨もうか(病院に行こうか,売薬で済ませようか,神仏にすがろうか…)を「自己決定」しなければならなかったのが,診断を受けることによって,その「自己決定しなければならないストレス」から解放されたわけです.
「入院です」と宣言され,病名をつけられ,ぺらぺらした情けない寝巻きを着せられて,ベッドにぼおっと横になっていると,社会一般から隔離された一段能力の低い人間になったような気分になります.そのことを自分の人格が否定されたようなネガティヴな経験として捉える人がいるかもしれませんが,そういう「わし,もうどうなっても,いいけんね」的な状態に置かれると,ふつう精神的な苦痛とかストレスは薄らぎます.少なくとも私はそうです.
患者にとって,入院して,「被管理者」の立場におかれ,自分の健康管理についての「責任がなくなる」ことは心理的には大きな救いです.常日頃から,自分1人で考え,決定し,その決定の責任を引き受けて生きてきた人が,そこから解放されるわけですからね.「まるごと受身になること」の治療効果はすごく大きいと思うんです.
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.