特別記事 戦後60周年企画
東京大空襲を経験した看護師に聞く
上原 悠幾子
1
,
冨田 智江
1
,
佐々木 綾子
1
,
永田 智子
1
Uehara Yukiko
1
,
Tomita Tomoe
1
,
Sasaki Ayako
1
,
Nagata Tomoko
1
1看護史を学ぶ会
pp.826-830
発行日 2005年8月1日
Published Date 2005/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100184
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自らの命がいつ果てるともしれない時代,ナースたちはどんな思いで看護を続けたのでしょう.
本稿は,東京大空襲を経験した大先輩の語りを,約50 年後輩に当たるナースたちがまとめたもの.
戦後60 周年を迎えるにあたり,看護と平和について再考しましょう
はじめに
私たちは,学生時代の講義で母校の歴史に触れて以来,卒業後も調査を続けてきた.その中で,1945(昭和20)年5月24日に起きた東京大空襲における看護婦生徒たちの活躍を知った.
当時の四谷区域の人口は2万9000人.そのなかから死者78人,負傷者405人を出す大規模な空襲だったにもかかわらず,同区域にある慶應義塾大学医学部附属病院(以下,慶應大学病院)の入院患者約180名からは,軽傷者が1名出たのみだったという事実に驚いた.
情報・物資のない時代に,どのように患者を救助し,どのような看護を行なったのか.なぜ患者は生き延びることができたのか.戦時下の様子について,当時母校の前身である看護婦養成所に在学していた,現在79~81歳である3名の先輩から聞き取り調査を行なった.
私たちが想像もできない過酷な状況下で,大空襲時の避難とそれを可能にした経緯について,彼女たちの語りを通して紹介する.
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