特別記事 戦後60周年企画
記憶のかけら―陸軍看護婦になった母<前編>
西川 勝
1
Nishikawa Masaru
1
1大阪大学コミュニケーションデザイン・センター
pp.831-835
発行日 2005年8月1日
Published Date 2005/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100185
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「軍隊で看護婦にしてください.どんな辛抱でもします」
1941年,南京にて,18歳だった母は陸軍中佐に懇願した.
従軍,敗戦,そして,ようやく復員――.彼女は23 歳になっていた.
2005年,大阪にて,同じく看護師となった息子の「ぼく」が初めて向き合った1人のナースの物語.
はじめに
これから書こうとする文章は,ぼくの母が第二次世界大戦中に南京で陸軍看護婦になった経緯である.彼女は現在82歳.大阪府堺市の府営住宅で1人暮らしをしている.あまり親孝行でない息子のぼくが,「従軍看護婦の話を聞かせてくれ」と訪れたとき,「私は普通の看護婦とは違うんやで」と少し誇らしげに話しはじめた.
親子のインタビューではうまくいかないかもしれないと,聞き上手の女性を同伴した.しかし,思い出を勢いよく話し続けることもあれば,ときにぽつぽつと途切れてしまうこともあり,60年以上過去の光景は容易には焦点を結ばなかった.
記憶のかけらは大小さまざまで,その輝きも色合いも異なる.触れれば指を傷つける鋭利な破片や,口に含みたくなるような飴玉が,明滅するガスのなかに散在するかのようだった.
48歳のぼくが,今までまるで知らなかった「母」に初めて向き合った体験を,多少なりとも読者に伝えよう.彼女の話から透けて見えるのは,単に個人の思い出ではない.戦争という歴史のなかで,ある女性が看護にかかわった物語でもある.
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