連載 とらうべ
第三世界で働くということ
徳永 瑞子
pp.869
発行日 1996年11月25日
Published Date 1996/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611903427
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5月18日土曜日の昼下がりに銃声が聞こえ始めた。何度か経験したことなので,そのうちに治まると高をくくっていたら,機関銃や大砲音が頻発するようになり,事態の深刻さを感じた。銃声は昼夜鳴り止まず,暴徒と化した民衆は企業や外国人の住宅の略奪を始めた。「ウォー」と群衆の声が近づいてくる。私は恐怖に立ちすくんだ。私たちは小さなリュックを背負い,ひたすらフランス軍の救出を待ちわびた。5日目に白い旗をたてた装甲車が救出に来てくれたときは,感激に震えた。私たちはフランスの軍事基地に収容され,翌日フランス外務省のチャーター機でパリに向かった。
私は,戦火の首都バンギを眼下に眺めながら,飛行機の中で第三世界で働くということを考えていた。第三世界の国々は,概して政治情勢が不安定で治安が悪い。それに,気候が厳しく衛生状態も悪く病気にもかかりやすく,必要時に適切な医療を期待できないという共通の問題を抱えている。私は,過去に内戦で2度,身の危険を感じたことがある。また,病気でヨーロッパに送られ手術を受けたこともある。マラリアには数回かかった。そして1976年,ザイールでエボラ熱が発生したとき,私はわずか180キロ離れた村で活動していた。私たちは原因不明で致命率の高い病気(後にエボラ熱と命名される)に戦慄し,生きては帰れないのではないかと不安におびえた。でも,私はいつもアフリカに舞い戻ってきた。
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