特別寄稿
助産婦卒後教育の必要性—「助産婦卒後研修センター」を開設した医師の意見
根津 八紘
1
1医療法人登誠会諏訪マタニティークリニック
pp.685-692
発行日 1997年8月25日
Published Date 1997/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901761
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- サイト内被引用
私と助産婦職との出会いく
私が初めて助産婦と接点を持ったのは,後程述べる,私を取り上げてくれた三澤さんという産婆さんであった。それから時代は飛んで,医学部時代,4年に一度の医学展の際,委員長という立場での,当時開設間もない助産婦学校の学生と接点をもったのが2度めの接点だった。その頃は,助産婦を産婆の流れを汲む,主としてお産を取り上げてくれる人たちととらえていた。
次の接点は,医学部を卒業後,琉球政府立中部病院(現沖縄県立中部病院)の卒後研修コースの2期生となった時である。インターン時代,産婦人科病棟で行き会った助産婦は,お産前後の段取りをしてくれる人であった。なぜかといえば,沖縄の近代病院では会陰保護,分娩介助は医師の役目であったのである。産婦人科レジデンス・スタッフを経る中で,もう一つの助産婦像と出会うこととなった。当時,沖縄はまだ助産院での分娩がかなりを占め,助産院から送られて来る難産との接点が頻回にあったのである。
Copyright © 1997, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.