特別記事 阪神大地震体験記
3.再びネットワークづくりをめざして
小森 香織
pp.323-327
発行日 1995年4月25日
Published Date 1995/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901228
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恐るべき大震災
淡路島北端を震源としたこの度の阪神大震災は,海を越えて,須磨断層,諏訪山断層,芦屋断層へと拡大し,多大な被害をもたらした。
私の住む須磨は被災地の最西端に位置し,私の家は東西に走るJR山陽本線の須磨駅から徒歩5分にある。その須磨駅は大きく運命を分けた東西の分岐点であった。須磨駅の東側のわが町は未明のあの一瞬でガレキの山と化し,国道沿いの家は歩道を越えて車道にまで崩れ落ち,親しい人たちの命が奪われた。私たちの住む店舗付住宅は,専門建築士による立入禁止の『危険』判定を受けたものの,かろうじて立っているという状況だった。しかし,幸運にも家族は全員無事だった。
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