特集 草加市立病院のいきいき助産婦活動
助産婦としてやっていること,考えていること
とまどい変じて,分娩が喜びに/33年間において,もっとも仕事に充実している日々/コペルニクス的転回を迫られた再就職/お産は奥が深い/「自分が産むこと」へのお手伝い/硬い頭がやわらかくなった
吉川 光子
,
鈴木 恵美子
,
石川 玲子
,
松井 朋恵
,
谷古宇 弘恵
,
鈴山 昭子
pp.816-822
発行日 1991年9月25日
Published Date 1991/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900412
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以前は当病棟も,日勤帯の人手の多い時にお産をさせようと計画分娩を主体としていた。が,数年前から「自然分娩は助産婦の手に!」という改善への声があがるようになった。私たちは自然分娩の良さを学び,何度も話し合いをし,婦長をはじめとする若い仲間のエネルギーは,1988年9月から夫立ち会い分娩を実現させた。
とはいうものの,私は今まで男性入室禁止だった陣痛室(現在のリラックスムーム)に男性(夫)がいることに,何となく違和感があり,自分自身の勉強不足めためもあって,“夫立ち会いのお産に当たりませんように”という心境であった。しかし,立ち会い希望者は増える一方で,避けたいと思うと,かえって当たる始末である。悩んでいた時,妹が生まれた頃のことが思い出された。私の生まれた所は茨城県結城郡で,結城駅よりバスで約1時間,それから徒歩20分を要する山村であった。もちろん,ほとんどが自宅分娩であった。妹が生まれたのは私が12歳の時である。父親は当然立ち会った。母親を思いやる,しっかりとした父の姿が思い出された。
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