連載 助産婦職能の変遷を探る・26
戦後の行政主導の受胎調節
大林 道子
1
1東京女子大学短期大学部
pp.806-814
発行日 1987年9月25日
Published Date 1987/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207227
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本連載23回に,敗戦後の日本政府が,経済の壊滅と人口の急増により経済力と人口との均衡を失した状態を痛いほど感じながら,それを,受胎調節にふみ切る理由として表に出さなかったことに疑問を呈した。そして,前二回,戦前の産児調節運動と優生思想をたどってみて,産児調節に対して,河上肇のような社会主義者の反対と,侵略の道と併行した"生めよ殖せよ"の人口政策のオピニョンリーダーとしての永井潜や古屋芳雄らの反対があったことをみてきた。
敗戦後の人口問題・人口政策に対する態度は,戦争協力の働きをした人口政策に対するアレルギー,状況が激変したとはいえ同じ日本政府が全く逆の人口政策をとることへのためらい,左翼とくに共産党の反対にあうだろうとの恐れ,それに加えてGHQの指導方針の逆転等々が絡み合って,意図を明確に打ち出すことができないでいたと思われる。
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