連載 助産婦職能の変遷を探る・3
協会結成準備会の証言を求めて
大林 道子
1
1東京女子大学短期大学部
pp.254-259
発行日 1985年3月25日
Published Date 1985/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206613
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遅すぎた証人さがし
前号では,日本産婆看護婦保健婦協会(現在の日本清護協会)の設立に至る経過を,これを推進したGHQ公衆衛生福祉局の看護課と,それに協力して実際に事を進めてきた,保助看界の指導者たちの記録や証言によって見てきた。今回は,その結成準備会で,反対の主流であった産婆たちの側からの印象を確かめてみたいと思って,調査を始めた。
まず,1946年11月22日の協会結成準備会への参加者を探し出さなければならない。日本酒護協会総務部に,当日の参加者名簿か何らかの手がかりがないか尋ねてみた。協会にはたびたび不明な事項について問い合わせをし,その都度,てきぱきと必要な情報を親切に提供していただいてきたが,今回は,何の手がかりもなかった。草創期の記録,文書類は,1956年2月14日の協会会館の火災で焼失してしまったとのことである。生き証人の方々が御健在の時期に「日本看護協会史1」(昭和42年刊)が完成したのは,せめてもの幸いであった。これは,いわば正史であり,政治史である。この看護協会史に欠落している一般会員の動向を探ってみたいというのが,私の今回の目的だったのである。しかし,ここ2,3か月の情報収集を通じて,"遅かりし"の感を強くしたのであった。
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