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どうにかこぎつけた連盟の結成大会—荒れた看護協会通常総会
pp.64
発行日 1960年6月15日
Published Date 1960/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911117
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日本看護連盟はだれのもの
昨年名古屋の金山体育館でのエキサイトした総会会場の空気は今年の大会にそのまま持ちこされた。看護連盟についての意見の対立は2日目の大会を大荒れに荒れさせた。結局連盟は制限時間ぎりぎり,夜8時にその結成大会にまでこぎつげたわけであるか,6万の協会員がそのまま全員加入するまでには,まだまだ時間を見なければならないようだ。連盟が発足したのは昨年の10月15日,会長には林塩前協会長が就任したが,このような重大事項を総会ではからないのはよくない,という意見が出,会場は相当紛糾した。特に東京都の一部の代議員を中心とした人達はこの役員のやり方に大きな不満を抱いていた。この連盟は協会とはあくまで別個な団体であるが「協会の目的を達成するために必要な政治活動を行う」とその規約にうたつている以上,協会会員の一致した協力がなくては育たない。会員は協会会員でもあるので,連盟は独自の道を行くと,独走することは許されない点の調整が困難な仕事となろう。
代議員の多数は役員側の方針,すなわち連盟の行き方を支持していた。名古屋の大会で決定した「今後強力な政治活動を行う」という方針をどう具体化するかで意見が分かれたのであろうが,そこには多少感情的な行き違いもあるようだ。
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