特集 帝王切開分娩と看護
現代と帝王切開
雨森 良彦
1
1日赤医療センター第1産科
pp.446-450
発行日 1983年6月25日
Published Date 1983/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206247
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"初産は児を殺しても下から出せ"
冒頭からこのような物騒なタイトルをかかげて申し訳ないが,実はこの文句は日赤医療センター産科の前身,日赤産院の故久慈直太郎院長がかつて門下生に日頃教示されていたものである。今から40年も前のことである。当時は高年初産も今日のようには多くはなく,たいていは20代初めに初産を経験し,5人も10人もの多産型であった。したがって初産を帝切することは,その後の出産に大きな問題を残すことになり,逆に初産を死産しても経腟的に終了しておけば,次回からは経産婦として毎回の出産は安産が約束されることとなる。したがって帝王切開の乱用をいましめ,かつ女性の長期的ライフサイクルの健康的で安全な生活を見通した名言であった。
当時は帝王切開率も2-4%にすぎず,その適応も母体救命を主としたものが多く,今日のごとく胎児を失ったために医療訟訴が頻発するなど夢想だにできないおおらかな時代であった。若年から妊娠出産の生殖をスタートするため,たとえ1児を失ったとしても翌年,翌々年第2児,第3児を期待できるとして,"死んだ子の年を数える"というようなことはどのカップルにもありえたものであったし,一般的に許容され,帝王切開を行なわなかったことで産科医を糾弾することなど考えられなかった時代である。
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