助産婦の仲間を訪ねて・31
徹底した自然分娩主義で母体死亡ゼロを記録しつづける
洲脇 絢子
1
1京都市立看護短大
pp.384-387
発行日 1978年6月25日
Published Date 1978/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611205394
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■京都・白梅町で3万人以上を取り上げてきた矢原綾子さんの場合
京都で生まれ京都で育った私にとって,矢原助産院の名は子供の頃から馴染のあるものでした。今と違って矢原助産院が開業された昭和8年といえば,白梅町のあたりは畑と藪ばかりで,春にはウグイスが鳴き,あまり人家もなかったと聞きます。私の子供の頃でさえヨモギやレンゲの花などの摘み草を楽しむことができたものでした。すぐ近くには左大文字が見え,毎年8月16日には,五山の送り火のひとつとして夜空を焦がしながら京の夏に別れを告げるのです。
このような環境のもとで地域の発達と共に発展してきたのが矢原助産院です。
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