インターホン
助産婦から看護婦になって思うこと
梅村 恒子
1
1東大病院物療内科
pp.510
発行日 1976年8月25日
Published Date 1976/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611205095
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私は2年間産科で助産婦として勤務したが,最初の1年目は仕事に追われ余裕がなく「助産婦とはどうあるべきか」「母性看護とはどうあるべきか」という問を自らひき受けることなく,ただ問題提起そのままのかたちとしてやりすごしてしまった。
2年目に入りようやく〈ある決心〉がついたのは「子宮内胎児死亡」に遭遇した時である。膠原病(SLE)という合併症を背負った初産婦がある日胎動を感じなくなり,児心音聴取不能となり,即胎児死亡の処置がとられた事件がひとつのきっかけとなったのである。この時までには合併症の中でも膠原病,糖尿病,心疾患,気管支喘息,甲状腺機能亢進症,白血病,整形外科的疾患,精神神経科的疾患など多くの合併症を持った妊産婦に出会った経験はあったが,これらの症例は内科の管轄であり,治療は内科医と産科医とのコンタクトのもとで方針が決定され,管理されているという安心感が私を支配していたことは否めない。私はそれぞれの疾患の特徴と産科的関係を学生時代に受けた講義内容程度にしか把握しておらず,妊娠,分娩,産褥期,そして新生児への対処の仕方が未熟なうえに,甘かったような気がする。
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