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経済面で好景気の昭和37年に助産婦学校を卒業し,看護学校での母校である官庁街の国立病院産科病棟へ勤務して以来,病棟で10年の歳月が流れようとしています。その間,病院ですごす時間が私たちの生活の大部分をしめてきたといってもよいと思います。そうしたなかで心に残る症例,いいかえれぼ困った症例として,医師や患者とともに真剣に取り組み,やがて母子ともようやく社会生活に復帰できるようになりほっと一息入れたとき,それまでの失敗のくり返しの努力が,ゆかいなことだったかのような,心暖まる症例として,安心感と満足感とで心を満してくれる。そうした症例は数々ありますが,そのいくつかを紹介させていただきます。
それは奇形児の出産に出会ったときです。陣痛発来と血性帯下で若い夫婦が来院し,長い陣痛発作の後に兎唇と狼咽の奇形をもった男児を出産しました。結婚してすぐ見知らぬ土地へ夫の転勤でやって来て,狭いアパート生活にもなれてきたときのことで,夫婦とも子供を望んでいただけに,ひどく狼狽したようすでした。夫はいちはやく平静にもどったが,妻はいつまでも泣き,子供を手に取ることもなく,いっしょに死ぬなどと言って精神は極度に混乱していました。まわりの者のはげましの言葉で少しずつ母親としての自分を取りもどしましたが,手術ができるまでの4〜5カ月の時期まで家庭に帰り再度入院するということに治療方針が決ったにもかかわらず,児をつれて帰ることに不安をもち,また世間に対しての差恥心とでなかなか帰ろうとはしませんでした。しかし児の方は哺乳もなんとかなれて上手にできるようになってきました。居住地の保健婦さんの協力を得まして,なんとか自信をもってやっていただこうとはげまして帰させました。母親のこうした不安を取り去るためにも,また手術に関する心がまえをつけるためにも,週1回は口腔外科へ通院することをすすめ,実行させました。母親はくずれそうになる気持を私たちに話すことにより,再び勇気と希望をもち帰院されているようでした。
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