南米助産紀行
まだ取り上げばあさんが活躍
猿渡 清子
1
1東京医科大学病院産科
pp.55-56
発行日 1967年8月1日
Published Date 1967/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203446
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日光植民地へ
マットグロッソ州の各移住地を巡回して母子保健指導を施行し,保健婦,助産婦による指導性の必要性を認識し,私がサンパウロに帰ったのは9月上旬であった.帰聖1週間後,パラナ州に行くことになった.行先はウムアラマの日光植民地.いちおうロンドリーナまで行くことにしバスを利用することにした.ブラジルでは春に向おうとしているのにまだまだ朝夕は肌寒い.21時,サンパウロを出発した.時速100〜120km,ハイウェイのようだ.道がよくできており,乗り心地が大変よい.約3〜4時間走るごとに10分間停車.そのたびごとに,コーヒーのサービス.濃縮乳ではなく,約15ccの濃縮コーヒーだ.
バスでの旅を楽しんでいる間にロンドリナーに午前6時到着.ロンドリナーでは,カトリック系の病院サンタカーザーを見学した.シスターたちの活躍は,並たいていのものではなさそうに想像される.山奥からの患者は重症が多く,病院の前で死亡する患者もいるとのこと.私はある親切な日本人宅に1泊後,ウムアラマ向け出発.機上の人となった.約40分後,森林地帯を切り開いた飛行場へ.本当に着陸できるのであろうかと思われる飛行場.何人かの黒人種が親切にしてくれた.ジープにて,日光植民地に向った.途中,道は赤土で,砂ほこりが立ち,10km行かないうちに,全身赤色状態.
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