母もわたしも助産婦さん
一人もどかしく思うこの頃
泉山 さ苗
pp.26
発行日 1967年3月1日
Published Date 1967/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203359
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助産婦の仕事に誇りと希望をもって母のもとへ帰りましてから,早くも5年が過ぎてしまいました.病院に勤めておりました頃は看護婦さんと呼ばれておりましたのが,母と仕事をするようになりましてから,母も私も産婆さんと呼ばれるようになりました.産婆さんという言葉は母には何ともないようですが,私自身若いのに産婆さんと呼ばれると,年をとった人を呼んでいるようでちょっぴり不満でした.田舎では助産婦という言葉はまだまだぴんとこないようです.田舎といいましても,家庭分娩がほとんどなくなり,入院分娩が多くなりましたが,産後の世話は昔となんら変わりなく,例えば食事,食物,離床などは昔のままの状態です.
私の所は収容施設が5床で,何から何まで母と私と2人だけで仕事をしておりますが,一日中動きまわっている私の仕事が多く,取り上げの他に炊事婦,掃除婦,洗濯屋を兼ねておりますので,暇のない私は何でも屋さんだとみんなを笑わせております.母と2人で産婦さんの身のまわりの世話と経過を観察しているんですが,いつも意見があわないことは食事のことです.産後は病気でないんだから何を食べさせてもいいという私の意見と,あれはだめだこれはいけないという母の慎重な意見の料理に私もつい右へならえをしています.
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