母もわたしも助産婦さん
大先生の指導よろしく…
嶋田 節子
pp.32-33
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203186
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私の母は明治の末に資格を取り,大正8年に世帯を持つと同時に現在の地に開業したのだそうです.富国徴兵生めよ殖やせよの時代にあって結構忙しく,私たち子どもは学校から帰って来ても母が家にいたことはめったになく,祖母が留守を預っていなかったら今でいうカギッ子だったなあと思います.毎晩のように起こされる母の職業を子ども心にも大変だなと思っていたのと,お産婆さんの子といわれる言葉のひびきが何となく恥かしくて,お産婆さんにはぜったいなるまいと思ったぐらいで,全然方角ちがいの学生時代を過ごしてしまいました.でも父の死後,結局はあとを継ぐことになり,私も今の助産婦となって早や17年になります.
でも考えてみると,母が出かけたあと,お産の迎えがあると必ず聞いておく5項目があり,それを沐浴またはお産でいっている母のところへ連絡にいくのでした.その5項目というのは,①何番地の誰さんで,②何時頃から痛み始めて,③今何分おきに痛いか,④赤いおりものがあるか,⑤お水がおりたか,以上でしたが,痛みというのはわかりましたが,赤いおりものだのお水だの何も知らずに母からのきつい命令で聞いていたのですから,今から思うと恥しくて赤くなってしまいます.助手もおかず一人で忙しく動いていた母に知らず知らずのうちに訓練されていたようなもので,やはり蛙の子は蛙の子だったのでしょう.
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