巻頭随想
助産婦のせがれ
松下 正壽
1
1立教大学
pp.9
発行日 1966年2月1日
Published Date 1966/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203122
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母は長く助産婦をしていたというので先年は黄綬褒章と,昨年11月3日には勲五等瑞宝章を頂戴した.私はこの栄誉に対し母とともに深く感謝している.しかしそれより以上に感謝しているのは母が助産婦をしたこと,そして私が助産婦の家庭に育てられたことである.母は事情があって父と生別し,兄と私をつれて郷里八戸の実家に帰った.祖父はキリスト教の教師をしていたがもちろん貧乏であった.助産婦開業がそういう経済的事情と関係のあったことは事実だと思うが,母が助産婦を収入の道というよりも天職と心得,全部を打ちこんだことは事実である.開業してから当分のあいだは貧乏な産家ばかりであった.母はなけなしのうちからいろいろな物を運んで産家を助けた.お産というものは夜中が多い.夜おこされるのは母にとっても家族の者にとってもつらいことであったが,母は喜び勇んで出かけた.私は母が張り切って産家に出かける姿を勇士を戦場に送るような気持で見送った.私は子供のころだし,まして男の子だから,助産婦の仕事を手伝ったことも,相談にあずかったこともない.しかし母の妊婦に対する心づかい,出産前の心労,それから出産の喜びは切実に感じられた.母は私に対し説教らしいことを言ったことはなかった.ただ欲得なしに仕事に打ちこむ母の姿は,知らず知らずのうちに私に大きな影響を与えたらしい.
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