特別寄稿
誰が助産婦なのか—コミュニティ助産婦として
ターナー 節子
pp.1039-1043
発行日 1992年12月25日
Published Date 1992/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900710
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私がイギリスでコミュニティ助産婦として働きだしてから今年で8年になる。その前の5年間は病院助産婦として,このイングランド南部のボーンマスの総合病院で経験を積んだ。その経験とはハイテクノロジーを使用した分娩管理方法で,計画分娩が多く,分娩監視装置,人工破膜(子宮口開大3〜4cmで),点滴による陣痛促進剤使用,鎮痛剤,会陰側切開,そして鉗子分娩と,今考えると自然の法則を無視したあらゆる限りの人工的な分娩コースだった。医学がこんなにも進歩し,分娩を計画できるとは,なんとすばらしいことだろうと思いながら,イギリスの助産婦たちのチームの一員として働いていることに大きな誇りをもって過ごした毎日だった。
かなりの経験を積み,十分自信がついたところで,さて次の方向をどちらにしようかという分岐点に到達した。このまま病院に残って昇格の機会を待つのも1つの方向だ。しかし私にとっては,妊婦さんと初期のころから知りあい,分娩が始まったらいっしょに総合病院の1角にあるGPユニット*(general practitioner unit)へ移って分娩介助をし,早い例では6〜12時間後に家庭へ戻って—早期退院の理由は費用ではない。産婦の好みである—産褥期の家庭訪問をする,というコミュニティ助産婦の仕事に非常に魅力があった。最近は,コミュニティ助産婦になるには非常に競争率が高い。あの頃の私はラッキーだったと言えよう。
Copyright © 1992, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.