インターホン
私の20年歴
松水 三代香
pp.44-45
発行日 1964年10月1日
Published Date 1964/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202850
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大東亜戦争最高潮の昭和18年助産婦のヒヨコに成るべく,スズメのシッポ髪で九大の門をくぐる.美術志望の女学生の夢も,ひとり娘の将来を案じる親心から一蹴され,職務の内容も知らぬまま入学したが,厭だ厭だと連発しながらも,餅屋は餅屋の類い.バタバタ勤務に始まり,バタバタと20年過ぎ去った.戦時のことなれば,スリッパどころか,ワラ草履で走り廻わった実習時代.婦長殿丹精のいもの茎を荒らし,カボチャを失敬して,松カサの燃料で夜食としゃれこんだ看護学校時代.休日ともなれば,附近の農家に豆の買出し,喰べることと寝ることが唯一の楽しみだった食糧難時代.そのせいか幼ない頃は大好物だったピースにカボチャはいまだに厭気がさす.
敵機の襲撃も頻繁となったある夜半,けたたましく響く非常召集の拍子木の音に,スワ空襲警報とばかり婦長室前に整列すれば,モンペ姿にコン棒持って緊張したる顔にて,婦長殿「皆さん,空襲ではありません今怪しい男が数人寮の附近に侵入した模様,各自モンペを着衣戸締り厳重,異常あれば大声にて助けを呼ぶように」との訓示に喜んだのは婦長主任を除くヒヨコ連.男性と聞いただけで刺激がある.恐ろしさ半分,面白さ半分,夜ばいする男の顔を見んものと,ホーキ,チリウチ,棒切れ片手にバケツの尻をカンカン,ワアワア寮の中は歓迎する敵襲に大騒動.さすがの男も肝をつぶして後姿を見せただけで一目散.あっさり解除になり,少々拍子抜けの態.
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