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当校の教育計画
針生 セツ子
1
1東北大学医学部附属助産婦学校
pp.28-33
発行日 1962年12月1日
Published Date 1962/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202452
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A.はじめに
保・助・看法学校養成所指定規則に基づいて本学に助産婦学校の設置を見たのは昭和27年4月でありそれから早くも10年の歳月が流れました.
現在までの過程は,助産婦教育に携わる直接の担当者にとって苦難な歳月であったといえます.その当時より常に心にあったこととしては,
1.助産婦の業務は何か
2.社会は如何なる助産婦を要求しているのか
3.如何なる教育計画を立てねばならないか
4.教育効果を高めるにはどうすればよいか
5.どうすれば学校らしい運営ができるのか
6.卒業後の待遇問題はどうなっているのか
7.本当にこれでよいのかということについてであり,当時これが最もよい方法であるという明示もなく各校の検討によって運営されてきたことと思います.
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