随筆
イタチゴツコ
小林 敏政
1
1都立大塚病院産婦人科
pp.39-40
発行日 1959年12月1日
Published Date 1959/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201814
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一昨年の初秋のある朝,いつもなら静まりかえつている病室の看護婦勤務室はガヤガヤと何か言い合つている.別に喧嘩口論をしている様子でもなく,一抹の不安の空気が漂つている感じである.——どこかわるいところがあるんでしようか? 消毒は? つづけてもう4人です.しかもその中の1名は今日ほとんど全身に出来ていますと言つて新生児の膿痂疹の連続発生悪化を強調した.3人の中の1人の婦長がこまつたという表情をうかべながら報告した.さかのぼつてみると数日前退院した新生児の臀部に退院前日,丁度「あせも」のように数個の発疹が出来退院日には頂点が一寸黄色つぽく,ふくれ上つたがペニシリン軟膏を塗つて退院させたところ,その後この処置が無効どころか退院後急速に悪化し,それから2日後臀部が大きく化膿し,外科医が切開して辛うじて軽快したと伝えられたことと併せてこれはと思つた.
さて,戦前にさかのぼるが1941年,フレミングが青かびから,ペニシリンを発見しその偉効に驚異の眼をみはつたのは一般の人々と共に医師であつた.又その後種々の抗生物質が次々と出現したので各種の細菌感染症は殆んど征服されてしまつてこの世には感染症もなくのどかな,くらしよいところとなるであろうと考えた人も居つたであろう.
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