助産婦の手記
助産婦学校に入学して
矢内 テル
1
1東北大学附属助産婦学校
pp.14
発行日 1958年8月1日
Published Date 1958/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201515
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「仰げば尊し」の歌を最後に,看護学生生活に終止符を打つて,多くの友に別れを告げ,不安乍ら,希望に胸ふくらませ,実社会に飛び込みましたのは,数年前の事でした.恵まれ,育くまれた学院生活とは異つて,社会と云う未知の世界は,決して平坦なものではなく,嶮しい茨の道でもあり病める人々に「幸の灯を灯すべく」と云う看護の道にも,理論と実際との矛盾は大きく,又一方,身辺の雑事に追われ,複雑な対人関係の難しさを身にしみて感じました.ややもすると崩れそうな自分を,「これではいけない」と,反省をし,自信を持つと云うよりは,勇気を出して,一つ一つの難関を乗り越えて来た積りです.学院を離れ,内科病棟に奉職し,大過なく送る事が出来ましたが,その後,助産婦学校入学前まで,一部産婦人科を含む混合病棟に勤務する様になり,以来,一般病棟と異る特殊性と申しましようか,その時の私には,如何ともする事の出来ない心の壁に突当つて了つた感じが致しました.何故ならば,私達看護婦の使命は,疾病に苦しむ患者さんの診察,治療の介補,及びその看護,更に,健康教育と保健指導にありますが,助産技術は,勿論なく,その知識も浅い私には,母性への保健指導と云う事は,仮令,立派な先輩に指導して戴いても,自信を持つてすると云う事は困難であつたからです.
一般の人々の知識の向上は勿論,その家族の妊娠,分娩,産褥,並びに育児に対する関心と理解が,非常に高まつたからだと思います.
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