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I.はじめに
オートバイで青少年が暴走する歴史は古く,昭和30年代の前半にはすでにカミナリ族と呼ばれる若者たちがいた。その後,モータリゼーションの進展にともなって若者たちの車熱も広がり,サーキット行為や集団暴走の事件も散見されていたが,彼らに"暴走族"という名が付けられ,その存在が一般に認知されるようになったのは昭和47年6月の富山事件以後であった。この事件は,百数十台の車が富山駅前を占拠してサーキット行為をくりかえし,規制にあたった警察官に対し,3千人ともいわれた群衆とともに騒乱をひきおこしたもので,検挙者は1,000件をこえ,マスコミに大きく報道された。
この,暴走族が登場する昭和40年代後半という時代は,若者文化の状況が大きく変わった時期である。1960年代はいうまでもなく,世界的な若者高揚の時代であった。アメリカではベトナム反戦,公民権運動などにおけるスチューデント・パワー,ブラック・パワーの政治参加,また,体制拒否のヒッピー運動,中国での文革,紅衛兵,フランスでのカルチェラタンの学生運動,そして日本でも全共闘の学生運動が大学,高校を揺るがせていた。一方,ビートルズをはじめとするロック,フォークなどの音楽,ドラッグ・カルチャー,サイケデリック・アートなど若者文化が開花した時代であった。
学生運動の嵐がすぎ去った70年代の学園は一転して,三無主義が蔓延するシラケの時代となる。スチューデント・アパシーや家庭内暴力が目立ってくるのもこの頃からで,やさしさの世代に背を向けた一部の少年はやがて校内暴力,暴走族と硬派の道へ進み始める。
暴走族はいわば,若者の時代が終ってから登場してきた,遅れてきた青年たちである。それは60年代の高揚の中心であった学生層とは異なって,その時代にエネルギーを温存していた学校からのドロップアウト層である。これまで社会の注目を浴びることのなかった層が,この青少年問題の空白期に,あらためて造反有理を叫び始めたものとの解釈もできるだろう1)。無論彼らの反乱は無自覚,無目的な反乱で,前世代と比べて極端に寡黙である。
以後10年,毎年,暴走族には2〜3万の若者が集まり,青春の一時期の行動にエネルギーを燃焼させている。
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