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お富さんと切られ与三
pp.44-45
発行日 1955年3月1日
Published Date 1955/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200811
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近頃の"お富さん"の流行振りにはまつたくもつて驚嘆に値するものがある.いい年をしたおじさんがほろよい気嫌で澁い声をはりあげているのはまだしもとして,はなをたらした子供まで"死んだはずだよ"とやつている.20世紀も後半に入つた今日何故こんなにも"お富さん"が流行し出したのであろうか,そんなつまらない詮索はしばらくわくとしても果して今日"お富さん"の唄を口ずさんでいるものの何パーセントまでが本当の"お富さん"すなわち,三世瀬川如皐作るところの「興話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)の,"源氏店の場"を知つているであろうか,戰爭末期に値界した十五代目市村羽左衞門の与三郞と,先代梅幸のお富,それに先々代松助の蝙蝠安の名コンビによつて大正時代の歌舞伎フアンの血を湧かせた"切られ与三"の舞台も,松助が欠け,梅幸が歿し,果ては羽左衞門まで亡くなつてしまい,一時は歌舞伎の舞台から忘れ去られてしまつたかの観さえあつた.あれから10数年,この頃になつて,こともあろうに流行歌として"お富きん"が陽の目を見ようとはそれこそ『お釈迦さまでも』ご存知なかつたであろう.歌舞伎の世界で"切られ与三"が有名になつたのは前にも述べた通り十五代目羽左と先代梅幸ならびに『蝙蝠安をやるために生れて来たような役者』とまで言われた先先代尾上松助の至芸があつたためにほかならない.
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