私の経験
農村において早産兒育兒指導に成功した例
山中 小梅
pp.37-40
発行日 1953年4月1日
Published Date 1953/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200324
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村の中央を貫く県道は東西に走り,支線は各部落から山又山の間を流るゝ溪流に添つて,蛇のように延々と南北よりこの県道に向つて集り,自転車で村中廻るのはとても1日では廻り切れない。まして山の中腹にある人家へは徒歩でなければいかれないような大きな寒村で活動する私達は,都会の方の想像だに及ばぬ身心の過労は夥しい。殊に食にさえあえいでいる人達の多い現状では,それ,材料を買つておけの,あれを求めておけよというわけにはいかす,ありあわせものをいろいろ工夫してあゝせよこうせよとその家庭に添う様に作らして事足らしておる次第で,こんな事してよう完全にはぐくました事よとお考えになるだろうとは思いますけれど,生命の強かつた兒が今に元気に成長しておりますのを見るにつけ,不思議な感が致しますので,綴つてみたいと思います。
年令23歳の初妊婦,主人は2つ上の25歳,農兼日傭稼を業し1カ年前に結婚,初潮16歳30日形毎月正しく来潮せりと身体栄養共普通終経23年12月15日〜20日迄。初診24年4月26日初診時所見,体温36.5プルス75呼吸18,乳房着色稍膨大し圧縮すれば初乳僅かにあり。悪阻なく何等特筆すべき容態なし。既往においても著患に罹りしことなく腹部触診によれば子宮底は恥骨臍部の中間で高さ13cm,内容に於て僅かに胎兒小部分触知せるのみ,兒心音胎動音聴取し得ず。されど犬の日なりしかば不確徴ながら着帯して帰る。
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