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「やがて,弘子の番がまわってきて治療室へ呼ばれると,いつも弘子の顔色が心細さのせいかサッと変わり,不自由な手で私か妻にしっかりとしがみつく.治療室には白衣を腕まくりした屈強な技手が五,六人と看護婦が三,四人いるきりで,医師もいず,医療器具なぞは一つもなかった.『さあ,患者さんをしっかり押さえてて下さいよ』,オシメをのぞいて弘子を裸にし堅いベッドの上へ寝かせ,事務的に技手がそう言った.その頃はもう,弘子の左手は腕の根元から指の先まで筋肉の萎縮のせいかまっすぐには伸ばせず,半月状に曲がったままになっていた.その腕を技手が力一杯,躯をのしかけるようにしてのばそうとするのだ.そうされはじめると,相当痛いことにはがまん強いはずの弘子が,火のついたように大声をあげて泣きはじめる.だが,そんなことぐらいには遠慮会釈もなく,折れはしないかと思うほど技手は腕から肘,手首へかけて,全身の重みをかけてぐいっぐいっとマッサージしはじめる.泣き叫ぶ弘子を押えながら,私たちは自分たちの全身が,弘子以上の激痛にさいなまれるかのように,痛んだ.」
城戸禮氏は戦前戦後にかけて大活躍した流行作家であり,生涯に数百冊の単行本を出版したが,1963年(昭和38年)に一冊だけノンフィクションを残している.その本には,痙直型脳性麻痺児となった最愛の娘との20年にわたる日々が克明に記されている.冒頭の文章は,弘子が3歳の時(昭和20年)に,東京の,とある整形外科病院で受けたマッサージ治療場面の描写である.また,他の病院での治療場面でも,「激しい痛みのために,苦しみ絶叫する弘子だったが,マッサージの効果は,ほとんど無に等しいといってよかったし,といって,可哀そうとは思いながらもやめるわけにはゆかなかった」とある.
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