学会印象記
第25回日本パラプレジア医学会印象記
出口 義宏
1
1水俣市立湯之児病院リハビリテーションセンター
pp.161-162
発行日 1991年2月10日
Published Date 1991/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552106735
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1990年11月7日(水),8日(木)の両日,鳥取県米子市の米子国際ホテルで,第25回日本パラプレジア医学会が開催された.山陰と言えば安来,松江,出雲大社などの民謡や神話のふるさとであり,また米子市郊外の名峰大山はちょうど秋の紅葉の最中であった.
本学会も昭和41年,別府において天児民和名誉教授が第1回の学術集会を開催されて以来4半世紀が経過し,会員数も1,000名を越え,多方面で進歩充実があった.私はこの会の充実発展を願う一会員として,若輩ながら本大会の感想を述べさせていただく.
第1日(7日)は,朝9時の新宮彦助会長の開会の辞にひき続き,ワークショップⅠ「脊髄損傷予防にむけて」が新宮会長,竹光義治旭川医科大学教授の司会のもとに12人の演者より報告があった.2時間30分間の予定であったが,その後の教育研修講演Ⅰ「脊髄モニタリング」(黒川高秀東京大学教授)が中止となったため1時間追加され,3時間30分のワークショップとなった.黒川教授は急性腰痛のためそのまま入院となられたそうで,一日も早い御回復を祈りたい.
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