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はじめに
日常の臨床の場で,ヒステリーがもっとも疑われる場合は,患者が明瞭な,しかも誇張された身体症状を現わしているにもかかわらず,それを裏付けるような器質的な障害が認められない場合である.あるいは,そこになんらかの器質的障害があったとしても,患者の症状を――疲状が多彩であればとくに――到底説明するのに足るものではない場合である.
そして,症状が確かにヒステリー性のものであるということになれば,患者の精神的問題を扱い慣れていない治療者の場合には,患者は治療者に困惑を与える以外のなにものでもない存在となってしまうだろう.
つまり,ヒステリーは,純粋に心理的な出来事であるからである.抑圧された本能的衝動によって生じた無意識の心的葛藤が,なんらかの心理的意味をもって,すなわち象徴化されて,麻痺・失立・失歩・失明・失聴などのさまざまな身体症状に転換(conversion)したり,もうろう・錯乱などの意識野の狭窄や,健忘などの精神症状に解離(dissociation)したものに他ならないからである.
このため治療者は,自分の持つ身体的な診断や治療についての専門的技術からはかけ離れた問題である患者の心理をどう取扱うか,器質的障害のない身体症状をどう取扱うか,という課題に直面せざるをえないこととなり,困惑してしまうことになる.
身体症状を正面にたてた転換ヒステリーの患者が,自分から進んで精神科医を訪れることは,まずありえない.身体疾患を取扱う医師の下を訪れ,身体疾患として認められ,「温かく保護される」ことを求めるのである.そして例外なく,精神疾患とか,嘘の病気とみられることに対し不満を抱き,攻撃的となる.
なかには身体的愁訴を執拗に訴え続けて,鎮痛剤常用やpolysurgeryの対象となったり,治療や患者の取扱いに対する強い依存や攻撃的な要求のために,看護者ともどもそれらの対処に振舞わされてしまうような患者もいる.また,明らかに「疾病利得」が窺われるような場合には,治療者が詐病に対する疑惑で揺れ動くことも少なくない.
このような結果,治療者は患者に対し,よほど意識してself-controlしない限り「自然と」,倫理的,批判的,あるいは冷淡,拒否的な態度をとるようになる.治療者のこのような言動は,患者の「温かく保護されたい願望」を傷つけ,患者は治療者に対し不信感を募らせ,患者・治療者の信頼関係は崩れることとなる.治療は不成功に終り,そればかりでなくこれらのことが患者の欝積した衝動に火を付けて,よりはなばなしい身体症状や精神症状(ときには狂言とはいえないような自殺企図をも含めて)を新たに開花させる結果ともなる.
このようにヒステリーは,医師,さらには日常患者と接することが多い看護者にとって,数多くの問題をもたらして取扱いに苦慮することが多い疾患である.
ヒステリーは単一の疾患ではない.症候群であると言ってよい.なぜなら,心的葛藤があって,それが理性的手段で処理しえず,あるいは理性的には処理しえないほどの強い衝動のために,精神面・身体面ともども欝積した衝動が爆発したか,ないしは身体面のかたちを借りて,温かく保護されたい無意識の願望として現われたものと考えることができるからである.このため一定の心的傾向を反映する一定の身体的表現の傾向――例えばいわゆるstigmaなどもその現われであろう――を呈することはあっても,本質的にはどのような身体症状が現われても不思議ではないのである.
いわゆる古典的なヒステリー症状を示すような患者は,今日のように教育と文化の程度が高くなるにつれて,あるいは都市化が進むにつれて少なくなることが指摘されている.また,専制的な社会や社会動乱の際には多いが,平時には少なくなるという.症状自体も派手なはなばなしい症状に代って,自律神経症状が多くなり,たとえはなばなしい症状があったとしてもあまり精神的苦痛を示さない,いわゆる満足りた無関心belle indifferenceの傾向を示す患者が多くなるという1).このことは身体疾患を扱う領域で,ヒステリーが発見されにくくなる傾向を,同時に生んでいるのではないだろうか.
かつて,筆者が在籍していた大学病院神経科では,粗大な身体症状や精神症状を示すヒステリー患者に出会う機会は,近年そう多いことではなくなった.とくに身体症状を主体とした転換ヒステリーで,その傾向は明らかであるように思われた.
しかし,リハビリテーションセンターに勤務してから,転換ヒステリー患者に出会う機会が少なからずあり,とくに長期にわたって医療を受けてきているいわゆる肢体不自由者のなかにはヒステリー患者が隠れていて,必ずしも精神科的治療を受けていなかったり,たとえ精神科的冶療を受けたとしてもそれに成功していない,という事実に驚きを感じないわけにはいかなかった.
このようなことから,本稿は,筆者が経験した症例を中心にヒステリーの取扱いについてふれたい.そして他診療科の医師や医療スタッフのヒステリーに対する理解を深め,その理解が,一見精神的には健全にみえる患者にも通ずる諸問題への理解を内包していることを強調したい.さらに,ヒステリーのリハビリテーション治療について,筆者なりの考えを述べてみたいと思う.
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