学会報告
第20回日本義肢装具研究会―昭和53年11月5日,於・玉造厚生年金病院
大塚 哲也
1
1玉造厚生年金病院
pp.929-935
発行日 1978年12月10日
Published Date 1978/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552104088
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山陰にはめずらしく,好天にめぐまれ,また交通不便な地域にもかかわらず,全国から197名の参加という盛会となりました.これ程の多数の方々が参加されるとは予想していなかったので,会場が混雑し,参加者の方々に大変ご迷惑をかける結果となりました.
本院は昭和21年厚生年金玉造整形外科病院の名のもとに,塩津徳政先生(現在,名誉院長)を初代院長として発足しましたが,塩津院長の卓見により,当初より,公的病院としては恐らくわが国で最初と思われる「義肢科」の設置が行われ,特に厚生年金義肢支給に貢献して参りました.私は昭和34年10月1日より整形外科機能訓練の名のもとに,義肢科とタイアップして機能訓練の方面を担当し,スタッフの協力によりかなりの期待すべき効果を得ました.昭和46年より本院に内科も設置され,名称も玉造厚生年金病院と変更になり,義肢科も医学的リハビリテーションの分野で活躍することになりました.昭和44年1月11日,当時の島根県身体障害者授産指導所所長の尾崎三郎氏と共に,山陰義肢研究会を設立し,第1回は武智,明石両先生を講師として迎えました.このたびの日本義肢装具研究会において,尾崎三郎氏の特別講演「島根県における義肢・装具の沿革について」を予定し,塩津名誉院長も期待され,尾崎氏ご自身も非常に光栄として喜んでおられましたが,去る7月4日,脳出血のため永眠され,皆様方のご期待におこたえすることができなくなりましたことは,かえすがえすも残念でなりません.
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