Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 1ページ目 Look Inside
はじめに
脳出血,頭部外傷,CO中毒などの脳器質疾患は救急医療の進歩につれて,以前にまして重大な障害でも救命を可能にしている.しかし同時に障害が大きいだけに,生命を維持された後の問題は医療の枠を超え,生活の場への復帰は重大な課題となっている.
脳器質疾患は急性症状としての意識障害,慢性症状としての痴呆,巣症状のほか,意欲の減退,神経衰弱状態,抑うつ気分などの精神症状や,種種の性格変化(抑制に欠ける,子供っぽい,多幸的,病前性格の尖鋭化など……),人格水準低下などが加わり,ひとりの患者をみていてもその治癒過程で意識障害が変化し,残遺症状が次第に固定化してくるという特性から,リハビリテーションのプログラムを立てるに当たってもシェーマ化しにくい要素を数多く有している.その上に精神機能や行動が緩徐になる,知能低下のために話ののみこみが悪い,性格変化も子供っぽく多幸的になるのであれば接しやすいが,怒りっぽかったり話がまわりくどく同じ話をくり返したりするとつきあい切れない,人格水準の低下(だらしなくしまりがない)にうんざりする……といったことから次第にとり残され,機能回復も多くは緩徐であることから“見込みない”ということで対象から外されていく傾向がある.
従来,医療の中では脳器質疾患は「脳損傷は不可逆性」という病理学的前提に立って,その患者の生活の中でのさまざまな悩みなどについても脳器質疾患の精神症状という面から把え,“治らないもの”として一定の扱いをうけてきた傾向がある.しかしその人の障害は障害としてうけとめ,実生活の中に復帰しようとする本人を支えていこうとする際に,本人の要求がどこにありわれわれが本人のどの部分にかかわっていくかを明確にしていないと,ある場合には本人にとって無用な請負い主義や丸がかえとなり,それがひいては「治らない」という一方的な結論に陥りやすい.
〔症例1〕1923年生まれの遺伝性脊髄小脳変性疾患(マリー病)の男性,母親と母親の同胞4人中2人が同病,本人の同胞7人中5人が発病.妻と子供3人がいる.若い頃はスポーツマン,飛行機会社の組立工で2,000人の職場の労組の組織部長をしていた.25歳結婚.
23歳の頃から目立たない程度の構語障害が出現.緩徐な進行で33歳の頃に足がもつれ,歩行時のふらつきが強くなった.仕事にはそれほど支障なかったが,44歳の時に徐々に強まる障害に治療を求めて某脳神経クリニックを訪れ,気脳写などの検査をうけてから急速に歩行障害,運動失調,躯幹の振戦などが悪化し職場は解雇された.
46歳の時に妻が肺結核で入院するので家庭で介補できないために,4ヵ月都内精神病院に入院した.その時本人の言うことは「この病気は治らない,効く薬はない」「私の遺伝子をとり出して遺伝をくいとめられないか」「私が死んだら必ず解剖して研究して欲しい」
病室での生活は,やっと歩ける程度の失調性歩行で,食事もぎごちなく口に運び,燕下の障害のため必ずむせてしまう.見かねてつい介助をしたくなるが,本人は自分でやらないと弱ってしまうとあくまで介助を拒んでやる.
少しでも改善されればと成書に載っている治療法を参考に薬を出せば「先生,薬は効かないよ,でも研究の参考になるかもしれないから服む」と痛いところを突いてくる.
退院してからも1~2ヵ月に1回は無理な身体に鞭打って外来を訪れてくる.そしてひとつ位は本人の苦痛を除けないかという私の願いをあざ笑う如くに好転せず,確実に進行していく.
外来で本人が語ることは,家で子供たちが遺伝の影に怯え,どこか身体の不調があると「何故お父さんは結婚なんかしたんだ」と泣いて責める.2人の子供に自分の発病当時の症状に似たものをみている父親は“結婚の時は何でもなかった”という弁解を口にすることも出来ず頭を垂れ,陽気に振舞っている.社会的には身障者の組織の地域の責任者として活躍し,家の内外で明るく振舞っている本人の裏の面が私の診察室にはあった.私にはどうしようもない話で呆然と聞いているに等しい無力なひとりの男でしかなかった.
本人が私に求めていたものは治療ではなく,病気の苦しみを聞いてもらえるという点にあった.私に出来ることは,黙って話を聞いていることと,せめて役に立つのは福祉上の手続きの援助や身障者住宅入居のための診断書を書くこと位であった.そんなある日,身障センターに行って自分の機能訓練を頼んで来たという.「向うの先生はこういう病気は初めてだし……無理かもしれない,と尻込みしていたけど,自分で努力するから大丈夫だっていってきた」と笑って報告する.その後暫く姿を見せないでいたら,前より大分歩けるようになったといって現れた.松葉杖の歩行も覚えてきたという.
マリー病は現代の医学では治療法はなく,機能訓練をして一時的に改善されても,症状の進行をくいとめることは出来ない.しかしこういう人たちは,自分の障害に応じながらその中で最大限の生活をしようとする執念は実に強い.
この人は障害者住宅という工夫された住いの中で本人の状況なりにやりうることに向かって努力している.そして家族や周囲の人に言えない悩みを私のところに来てぶちまけていく.“治してやろう”という意識を強く持つと,本人が何をわれわれに求めているかを見失い,治療者が勝手に空回りをして結局は治療的なペシミズムに陥ってしまう.
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.