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わが国の現実の社会をみるとき,障害をもっている人達が「生きていてよかった」といえるような生活を送ることは至難である.それは障害者に限らないともいえるが,障害者はとくにそうである.就職先がない,あっても差別される.資本主義社会における自己疎外は,労働条件や賃金が改善されても,それだけでは克服されない.自分の労働がもつ社会的,人類的な意義を自覚するという課題が残る.だから,リハビリテーション過程において,近代的生産関係の中の人間疎外の要因を認識し,これを克服できるような能力をどう形成するかという課題は重要であると考えている.
この課題は,わが国の教育の現状とも深く結びついている.いうまでもなく,いまの私達の対象者は,かつて学校教育の対象者であった.五十嵐氏1)によれば,わが国の教育の非民主性は,その国家主義や官僚統制にあるのではなく,それは結果である.労働大衆にその労働そのものにおいて不可避的に求められる科学的認識の基礎教育を許さなかったことに理由づけられるとしている.そして,さらに労働に対する人間の自主的な意欲は,学習に対する青少年男女の自主的な意欲の根底ではないか.社会の中で人々が労働にたいして自主的な意欲をもつかどうかは,生産手段の総体が全国民の民主主義的所有になることによって,実現されるのではないかと指摘している.このことは,私自身のうけた教育においても,現におこなわれている教育においてもいえるのではないかと考えている.この点で,リハビリテーション過程における教育機能について浦辺氏2)の所説は消極的である.もっと積極的に打ち出したいとする大橋氏3)の論及に同意するのである.この教育機能に心理の積極的な参加を提案したいのである.
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