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Ⅰ.はじめに
そもそものはじめから,その臨床において家族,とりわげ母親の役割が決定的な意味をもっていたのは,小児の診療であった.しかし今や,老人はもちろん,どんな年代の患者の診療についても,その家族とのかかわりがますます重視されようとしている.そしてこの動向は,身体・精神いずれの障害者の診療でも同様であるが,当然その背後には,現代社会の動向が大きく作用している.
しかもそのような視点からみると,われわれが家族へのアプローチに腐心する現状は,臨床家の主観からみれば臨床上の認識と実践の大きな進歩ではあっても,客観的にはむしろ,現代社会における伝統的な家族構造の解体とその機能の低下の肩代りを,臨床家が余儀なくされるという側面をもっている.たしかに,旧来に比べると,家族の排他性や閉鎖性は弱まり,臨床家が,家族問題に介入しやすい状況が生まれているが,まさにそのような現実そのものが家族の権威の失墜をも意味しているのである.そしてまた,われわれ精神科医による精神医学的家族研究は,かつては過剰に美化され幻想化されすぎていた家族関係や親子・同胞間の交流の実態を白日下にさらし,「個」に対する数多くの病因的な作用や否定的側面をそこに見出すことによって,「家族幻想」の破壊に大きな役割を演じている.
しかし,もし家族が全くその機能を失い,「個」に対して否定的作用しかもたないなら,臨床的に家族にかかわる根拠も失われてしまうわけで,やはり現段階では,「個」のためにも,ひいては「家族」そのもののためにも,家族への臨床的接近が,多くの有効な成果をもたらすのが実情である.したがって,たとえ一方に,「家族へのかかわり」は,社会全体の歪みや既存社会体制の社会福祉政策の欠陥から生じる.社会的経済的心理的ストレスを家族にしわよせする試みだ,との非難があるにせよ―必ずしもこの非難の正当性を否定するものではないが―当面差し迫まった個々の病者や障害者を援助する際には,やはり臨床家は家族へのかかわりに頼らざるを得ないのではないか.それが,革命家や政治家ならざる,個々の臨床家の現実である.
臨床における家族へのかかわりをどう位置づけるのか?この問いに対する筆者の姿勢が以上の如くである旨を先ずあきらかにした上で,本題に入ることにしたい.
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