巻頭言
私のリハビリテーション今昔
中西 亮二
1
1医療法人社団寿量会熊本機能病院リハビリテーション科
pp.425
発行日 2008年5月10日
Published Date 2008/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552101239
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リハビリテーション医療に携わって四半世紀を過ぎた昨今,昔を思い出して時の流れを感じる機会が多くなった.学生時代にリハビリテーションについての講義を受けたのはわずか2時間であった.車いすや歩行器,装具の実物を見た記憶がかすかに残っている.卒業後,入局した内科の初期研修の一貫として(そのつもりで),福岡市のN病院で半年間リハビリテーションの勉強をさせていただいた.そこには「リハビリテーション技術全書」の著者,服部一郎先生と細川忠義先生がおられた.このとき,リハビリテーション医療という分野が現実に独立して存在することを知った.しかしながら,自分自身がこの領域に関わることになるとは夢にも思っていなかった.
2年間の初期研修を終え,恩師の一言で赴任したのは,水俣市立湯之児病院であった.1965年に公立病院として初めて開院したリハビリテーション専門病院である.私が一番若輩であり,看護師,理学療法士,作業療法士,義肢装具士,ソーシャルワーカー,一般職員など,ほとんどすべてのスタッフが年上の環境のなかで,若い医師として暖かく育てていただいた.自宅訪問など1日がかりで相当遠方へも出かけた.家屋改修はリハビリテーションスタッフが図面を引いて大工さんと交渉し,踏み台や手摺り,平行棒,リフターまでDIYで材料を購入して手作りするなど,低コストでの創意工夫の世界であった.5年間の勤務の間に,素晴らしい恩師,上司にリハビリテーションが何たるかを教えていただき,以来,現在に至るまでご指導を仰いでいる.残念なことに,私にとって第二の故郷,わが家であった湯之児病院は,2005年3月にその役目を終えて閉院した.
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