とびら
変化し続ける状況
新田 收
1
1首都大学東京健康福祉学部
pp.891
発行日 2018年10月15日
Published Date 2018/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551201322
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1986年,重症心身障害児専門病院で理学療法士として働き始めた.対象者の多くは座位を保持することもできなかった.理学療法士として何ができるのか,手探りの日々だった.
病院には外来がなく,200人ほどの入所者は退院せず,生活の場となっていた.この状況は,現在の感覚からすると違和感をもつだろう.近年,障害が重度であっても,在宅ケアが一般的となっており,退院を前提としない方針は理解できないと思われるだろう.当時,病院は設立20年目を迎えており,節目として施設史を振り返る機会があった.1968年開設時,重度な障害をもつ脳性麻痺児は,在宅で静かに育てられていた.そのため,専門的な医療ケアを受ける機会は十分とは言えなかった.この状況に対し,専門病院の使命として,家族を説得し,病院への入所を促した.つまり,病院入所が,彼らにとって初めての社会参加だった.
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