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甃のうへ・第33回
Seeking untapped potential
Seeking untapped potential
高倉 利恵
1
1大阪河﨑リハビリテーション大学リハビリテーション学部理学療法学科
pp.192
発行日 2016年2月15日
Published Date 2016/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200482
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- Abstract 文献概要
理学療法士という仕事に導いてくれたのは,障害を持つ子ども達との出会いであった.「理学療法の先進国だというアメリカへ行こう!」.1990年の9月下旬,サンフランシスコの北東約80キロにある田舎町Davisで,米国の大学に入るための英語勉強が始まった.初めての異国文化での生活は驚異の連続だった.例えば,当時日本ではあまり普及していなかった電子レンジの活用法.カップラーメンはカップに水を入れ,ティーバッグはマグカップの水の中に入れ「チン」とする.ポテトチップスは乳飲み子の普通のおやつであり,ペットに飼っている蛇の餌,「ネズミ」が食材といっしょに冷凍庫に入っていた.今でこそ,あのネズミを蛇に与える前に電子レンジで解凍したのだろうかと考えるほど余裕があるが,ネズミ色の毛と小さな耳のようなものが包みの端からみえた瞬間,包み紙とその中身は宙に舞い上がった.
英語学校に3学期間通い,その後,理学療法学科入学の必修科目である基礎科学を短期大学で履修,その単位とともに4年制大学に編入後,理学療法学科への入学試験を受けた.在籍中は同級生に支えられ,月月火水木金金の勉強,週末に1週間分の料理と洗濯をするという規則正しい生活.何とか理学療法士国家試験に合格して免許を受理,就労査証もようやく発行され,正式な理学療法士としての仕事が中西部にある学校を併設する小児病院で始まった.
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