甃のうへ・第26回
母への恩
小玉 美津子
1
1神奈川県立麻生養護学校
pp.542
発行日 2015年6月15日
Published Date 2015/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551200239
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母は,将来進みたい道もない高校生の私に「これからは資格の時代,女性も一人で生きていけるように手に職をつけなさい」と,聞いたことも見たこともない「理学療法士」という職業を紹介した.女手ひとつで幼いころから私を育ててくれた母の言葉はとても重かった.保育士をしていた母は,担当の子供のお母さんが北里大学病院で理学療法士として働いていたことから,その職業を知ったそうだ.経済的に厳しかったので,国公立の医療系学校をいくつか受験し,結果,都立リハビリテーション専門学校に入学することができた.本当に理学療法士になりたかったのかどうか自信はないが,母がとても喜んでくれたことを覚えている.そんな母が入学の年,がんで亡くなった.空虚さと悲しさ,アルバイトの日々に体も心も疲れ果てていたが,都立リハビリテーション専門学校の先生方や同期生に本当に支えてもらった.
最初の就職は,神奈川県立ゆうかり園.ゆうかり園では約10年,超早期,通園,入園,特別訓練会等の事業で理学療法はもちろんのこと,家族支援,地域支援,チーム支援の大切さをたくさん学んだ.特に養護学校併設ということもあり,教員の影響力も大きかった.なかでも「子供にとって,理学療法士がやっていることにはどんな意味があるのか,やる必要があるのか」と尋ねられたことは衝撃的だった.私にとってゆうかり園は,理学療法士として,人としての狭い考え方を変えてもらった原点の場所である.その後,座間市役所でも療育中心に地域に密着した事業にかかわりながら,母親に寄り添うことの大切さを学んだ.
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