新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第2回
遠藤文雄
pp.441-445
発行日 2014年5月15日
Published Date 2014/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551106640
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私は宮城県の鳴子の生まれです.高校卒業後に一度上京したのですが,長男だからと呼び戻され,国立鳴子病院に看護助手として就職しました.鳴子温泉は「鳴子八湯」と言われるように泉質が多種多様で,1938年には傷痍軍人の温泉治療を目的に陸軍病院が設立された経緯があります.名称が国立鳴子病院に変わってからも整形外科が中心で,私が入職した当時,鳴子病院では温泉療法のほかに,すでに運動療法が行われていました.それを指導したのは,当時福島医科大学の助教授であり,後に生涯お世話になる土屋弘吉先生です.先生は院長の菊地正三先生と兄弟弟子という間柄で,留学先のニューヨーク大学で学んだ運動療法を指導してくださったとのことでした.
鳴子にはもう一つ,東北大学医学部附属病院鳴子分院がありました.ここでは特にリウマチ治療に力を入れていて,ドイツ医学の考え方を取り入れ,内科的なリハビリテーションの一つとして患者さんに温泉を飲ませていました.私も小学生のころ,被験者として温泉を飲まされたことがあったんですよ.鳴子病院の内科に分院から医師が派遣されてきていたこともあり,2つの病院の影響を受けながら,日々の実践のなかで「リハビリテーションというのはこういうものなのだな」と学んでいったように思います.
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