教養講座 小説の話・23
丹羽文雄と石川達三
原 誠
pp.41-43
発行日 1958年8月15日
Published Date 1958/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910665
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
小説家にかぎらず,他のどんな芸術家にとつても,処女作品というのは本当に大事なものです。この回で丹羽文雄と石川達三をとりあげるにあたつて,私はあらためてその感を深くしました。丹羽文雄は小説を書きはじめていままでに,原稿6〜7万枚におよぶ作品を書いたといつています。毎年,約3000枚,ひと月に250枚から300枚平均を,20数年間かきつづけてきた勘定になりますから,まつたくそのエネルギーは大変なものといわなければなりません。長篇もあれば短篇もある,そのなかから,丹羽文雄の代表作を数篇とりあげ,彼を論ずるということになると,さて一体どの作品をとつたらいいのか迷つてしまいます。そしてこの場合,やはり処女作を対象とするのが一ばん妥当だろうと私は思うのです。
丹羽文雄は,明治37年のうまれですから,もう55歳になります。生家は三重県の四日市で崇顕寺という真宗高田派の寺院を営んでいます。彼はそこの住職16代丹羽教開という人の長男としてうまれ,20歳のとき上京して早稲田にはいりました。早稲田では国文学を專攻し,26歳のとき卒業しました。その前後から同人雑誌に加わつて,火野葦平,寺崎浩,新庄嘉章,尾崎一雄,浅見淵など,いわゆる早稲田派と呼ばれる人々とつきあつています。
Copyright © 1958, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.